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先祖供養・土地の救霊

先祖供養・土地の救霊

はじめに

先祖供養や土地等の救霊を検討されたい方は、こちらのページ先祖供養・土地の救霊と下記の「◎体験記・救霊を行うまでの経緯」を読んで頂き、救霊とは何かについてよくご理解をして頂きます様お願いします。

宗教や組織とは一切関係なく、霊感商法の類とも無関係です。


◎体験記・救霊を行うまでの経緯


各地へ赴いて様々な救霊を行っております。

●先祖供養はお仏壇とお墓の救霊を行います。


●土地の救霊とは、お住まいの土地と周辺地域の土地の浄化を行います。


●その他、お社や祠・氏神様、神棚等の救霊を行います。


●救霊法は心身の神癒として欠く事のできないもので開院時から行っています

上記の解説は下記項目をご覧ください。

救霊法

救霊法

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長尾弘先生の書籍「真理を求める愚か者の独り言」の中の救霊法より抜粋しました。

迷っている方をお救いすることは、この世に生きていらっしゃる方々をお救いすることでもあります。

救霊とは目に見えない世界のことですから、人には理解されにくいことですが、この社会には現代医学、科学でも理解できないような、精神病や精神異常などが少なくありません。

とくに近年は異常犯罪や少年犯罪は増えています。精神病なら何何病と名前を付けて解明したつもりになっていますが、それでも完全な解決は難しい問題になっています。

本当のところ、あらゆる波動がゴチャゴチャになって、ちょっと油断すると変な波動に影響されて、妙に寂しくなったり、イライラしてみたり、人を傷つけたくなったりするのです。

その中にはもう既に亡くなっているのに死の自覚さえできず、まだ霊界に行けずに、幽界あたりでさまよっている霊の方々があります。

生きているのと死んでいるのとの区別のつかない方たちが地上に未練を残し、自分で消化しきれない思いを生きている人間に取り憑いて果たそうとするのが、様々な事件として現れることがあります。

それに対する今日までのこの社会の認識も対策もあまりにも不十分すぎて、一人一人はこうした影響から無防備であると言わざるをえません。
だから、生きている私たちがこういうさまよえる意識帯と同通しないように常に油断せず、心を正しておくことを、日頃から心がけなくてはなりません。

ただ、どうしても目に見えない世界のことであるがために今のところこの三次元の世界では、なかなかこの想念エネルギーの浄化の必要については、その重要性が理解されていないというのが残念ながら現状です。

私たちが生まれてきて肉体を頂いて果たすべき目的の一つに、見えない世界の方々をお救いすることにあることも忘れてはならないと思います。

見えない世界の方を救わせて頂くその方法は「救霊」といってます。敢えて「除霊」とか「浄霊」と呼ばないのには理由があります。それは悪霊退治のイメージとは正反対のものなのです。

「悪霊よ、退散しろ!」とか「静まれ」とか「おのれ迷うたかっ。夜叉と化したおまえにはこれ以上災いをおこさせまじ」などと力づくでやってしまうと、行者が九字でも切って験力を使って、いかにも汚らわしく低級な不成仏霊を最大の憎しみをこめて追っ払うみたいになってしまいます。

むしろこっちの方が残忍かつ無慈悲な感じで、心が寒くなってしまうという印象があります。サタンと言えども人の子であるという言葉があります。

本当の神様はそんなことをされるでしょうか。神の御心は、私心なし、自我なし、対立なし、つまり、すべては宇宙そのものと、また光そのものと大調和するものです。

もとはみんな神の子である前提のもとに、たとえ今は悪と現れていようが、迷える霊と現れていようが、必ず消え去る、必ずよくなると信じることが救済の第一歩です。

彼らの意識が陥っている誤解や思い違い、仏教なら迷いとか無明とか転倒妄想と呼ぶ状態から一心に真実を説いてさしあげることにより、その魂を救済させて頂くのです。

愛の光と言霊の響きをもって、どんな魂の方も分け隔てなしに、心の苦しみの世界からお救いするのが愛ある方法です。万霊済度の方法と思います。


死後、仏壇やお墓に入ってはならない

愚か者の独り言 

長尾弘先生の書籍「求める愚か者の独り言」第一巻より抜粋しました

例えば、私は死んだらお仏壇の中に祀ってもらうのだ、或いはお墓の中に入れてもらうのだと思っておりますと、必ずそこへ行きます。

死ねば、思いの世界、心の世界ですからね。死んでお墓の中に入ったら駄目です。或いはお仏壇の中へ入っては駄目です。

今まで一般に皆さんが考えておられたことと違うと思いますが、お仏壇やお墓はこの世の現象世界の物質ですから、物質に心をとらわれては、そこから心が離れられず、成仏できないのです。

いかに煌びやかに飾られた仏壇であろうとも、いかに大きなお墓であろうとも、そこは決して天国ではなくこの世の物に過ぎないのです。

こうしてお墓や仏壇に思いを残していつまで経っても救われないでいる見えない世界の方を救わせて頂くのが救霊です。

亡くなられた方の法事というものをよくしますね。皆さんも三回忌、七回忌、十三回忌をつとめられるでしょう。sの法事の姿をよく観察しますと、お仏壇があって、その前にお坊様が座られ、後ろに親戚縁者が座ります。
そのお坊さんを仲介してなくなられた方の供養をするわけですが、後ろにおられる親戚縁者の方達の心を観察いたしますと、皆共通して同じ心を持っておられますね。

「何やわからんけど早くお経が終わらないかなあ、しんどいなあ、足が痛くてたまらん」という思いです。
「ああ有難いなあ、三部経は何と有難いなあ、私はこのお経のように生きよう」と思っておられる方は一人もありません。

皆さんはいかがでしょうか。法事で三部経を聞いて有難いと思いますか、思えないでしょう。なぜ思えないかと言うと、それはお経の意味が何を言っているのか分からないからです。分からないから余計に退屈で、足が痺れて早く終わらないかなあと足をさすっているのです。

そして休憩の時間になるとやれやれとお茶をいただくのですが、これから又、お坊さんのお説法のあと読経が始まるとなると、「やれやれおそろしいよ」ということになります。

そして次に死んだらどうなるかと言いますと、お坊さんを境として生きている者は後ろへ、死んだ者はお坊さんの前に座ります。そしてお経を聞いてどう思っているかと言いますと、お坊さんの後ろにいれば、まだ足もさすれたけれど、ここでは足を伸ばしたり、くずしたりもできず、「かなわんなあ」と思っています。それが亡くなった方の心境です。

「もういい加減に終わってくれないかなあ」と思うだけで、お経をあげてもらっても何も有難いことはありません。それはお経の意味が分からないからですね。

分からないものは生きて聞いても死んで聞いても分かりません。法事のお経を、お坊様を境として生きて後ろで聞くか、死んで前で聞くかの違いですから、同じ思いをしているということです。

仏壇の救霊

画像の説明

「愚か者の独り言」に書かれているように、意味不明なお経をあげてもらっても、それを聞く側(亡くなられた方)も意味がさっぱり分からないし、ご住職の後ろに座っている方たちにも理解が出来ないのです。

お経というのは、元はお釈迦様の教えであり、のちにお釈迦さまのお説法を当時のお弟子さん、主に多聞第一と言われたお釈迦様の弟子のアーナンダさんやその後のお弟子さん達がサンスクリット語で書き顕したものだそうです。

それがやがて中国に渡って漢訳されて、その後朝鮮半島に渡った後に日本へ伝来されたものです。

お釈迦様の当時は誰にでも分かりやすいお話だったそうですが、国々を変遷し時代が変わる度に難しくなっていった様です。
だから、お経というのは本当は有難いものですが、お釈迦様の時代から2500年も経って形骸化したので、私たち一般の人間には意味が分からないのです。

むかわり(一周忌)三年あと七年と言って四十九日の後は一周忌、三回忌、七回忌等の法要を行ったり、或いはお盆の時期が来るとお墓参りに行ったりします。

社会通念としてはそれが普通になっていますが、果たしてそれで見えない世界の方が救われて頂けるでしょうか。

若し本当に救われて頂いているのであれば、幾たびもの法要は必要のない事です。
救われていないからこそ法要をするのではないでしょうか。
ご先祖や近親の方が若し本当に救われて頂いているのであれば、二度と再びこの地上の世界へ帰って来られることはない筈です。
本当の供養とは、亡くなられた方が天上界へお帰り頂くために救わせて頂く事です。

救霊によって救われたならば、(転生輪廻を除いて)もう二度と再びこの世に戻って来ないのです。
それが本当の救霊です。

この項の終わりに
お仏壇やお墓がない方や、事情により未納骨のままとなっている場合の救霊につきましては、電話番号まで直接ご相談ください。

090 5770 6732 横塚まで

墓地の救霊

墓地の救霊

ご当家のお墓を救霊する時、そのお墓がある墓地全体も共に救霊をさせて頂きます。
折角来たのですから、依頼されたその家のご先祖だけを救霊するのは差別した事になります。

当該墓地に眠っておられる諸霊をお救いした時、諸霊の立場になってみると「私たちだけ救われたのでは申し訳ない」という気持ちになるのは人情です。
あの世もこの世も変わりありません。
ですから例え大きな墓所であっても墓地全体に眠っておられる見えない世界の方の救霊をさせて頂きます。

はじめて人様の家へ訪問する時程度の装いで、お墓の前に立ってご当家先祖代々の諸霊に語りかける言葉は仏壇の場合と若干異なる程度で、仏壇の救霊と基本的に同じと言えます。

画像の説明

土地の救霊

本 心行 上

心行の解説 上

「心行の解説」上巻、より抜粋しました。

土地の持ち主が代々ずっと持続していることはありません。これは天皇様でも、昔奈良に都があり、斑鳩と飛鳥と平城京は大分離れています。先ず飛鳥にあり、平城京を経て、或いは京都に行きまして、今は東京です。
一国の王でもずっと同じ所に住んでおられないのです。まして我々一般庶民は、土地を我が物にしたり売ったりして、人手に次々と渡っているのが土地の実相です。

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その時に、「この土地はわしがものすごい苦労してやっと我が物にしたのだ」という具合に執着します。土地でも家でもそうですが、「えらい苦労してやっと建てたものだ、わしは死んでもこれを離さない」という思いを持ってこの世を去っていきますと、その方の思いはその土地や家に留まるのです。

その人の執念がその土地に住みつくわけで、勿論これは成仏できません。成仏できないから、自分が持っているその当時の意識のままでその場所におられます。その土地へ他人さんが来て、ちゃんとお金を払って入手した土地であっても、霊にしてみましたら、それは自分の知らない赤の他人です。

その土地へ家でも建てようものなら、「わしの土地に勝手に家を建てやがった」と言って怒るのですね。それで神主さんに来てもらいまして「祓い給え清め給え」とお祓いをしてもらいますと。これはちょうど塵はたきでもって塵をはたいているようなもので、その時は塵、つまり霊は飛びますが、時間が経てば、またそこへ塵「霊」は戻ってきます。

拝み屋さんに見てもらいますと、必ず「この土地には地神さんがおられるから地祭をしなさい」とか「棚祀りをしなさい」とか言います。

それで屋敷の中へ祀り、また家の中の神棚へ祀りますが、これは箒でもって屋敷を掃除して、そのごみをごみ箱へ入れて詰めておくのと同じことです。社というごみ箱ですから、うまく管理しないと、またごみが出てきます。

うっかり蹴飛ばしたら、また元通り飛び出してきます。或いは棚から落ちてそのあと元通りに管理できない場合は、その土地に執着している霊がまた支配してきます。

私が行うのはお祓いといいますか、何といいますか、行かせてもらいますと、このように言うのです。もちろん地神様ではありませんから、まず神の光を頂いてからこのように言います。

「この土地でかつてこの土地を所有し、この地に思いを残してる霊はよく聞きなさい。この地上はあなたたちの住む世界ではありません。地上界の私たちが住まわせていただくこの土地とは、神から一時お借りしたものであることを知りなさい。そしてこの世の修行が終われば、また光り輝く天上の世界に帰ってこそ、まことの成仏ができるのです。まず執着を離しなさい。」

それともう一つ付け加えます。

「かつてこの地を所有し、この土地に於いて生活をし、この地に思いを残す霊、また、かつてこの土地に於いて神として祀られ、或いは仏として祀られておられた諸霊もよく聞きなさい。」

これは土地の因縁といいまして、昔この場所に神として祀られ、ご神体と称するものの中に、これは石でも彫刻でも金仏でもそうですが、神として仏として意識を持っておったものが、土の奥深くに埋められた場合、その上に家を建てた時などは必ず災いを起こしてきます。ですから、そういう者も一緒に聞きなさいと言ってから、

「この地上から執着を離すことです。この地に執着を持っては救われません。この地上に於いて生活をいたしました五十年、百年をよく振り返りなさい。私たちはこの肉体の五感の煩悩のゆえに、ある時は怒り、ある時は妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、足る事を知らぬ欲望に捉われて、自分の心を苦しめてきたはずです。そのような事はなかったですか」

と、聞いてみますと、成仏した人にはそんなものはありませんが、成仏出来ないでいる人は皆、必ずその思いを持っております。

「その時、あなた方の心は苦しくなかったですか」。誰でも腹を立てたら辛いですから、私が聞くのは当たり前のことばかりです。「恨んでいる時はどうですか、人を憎んでいる時はどうですか、貪欲に囚われている時はいかがですか。しかしよく聞きなさい。真の神は言われます。よく聞きなさい。

いとしき我が子よ、いとしき我が子たちよ、そなた達は幸せに生きよ、健やかに生きよ、己自身を苦しめることなかれ」と。自分の心を苦しめることは真の神のご意志に背きます。

神のご意志に背いては、何者をも救われることはできません。その過ちに気付けば、今、心素直にし、自分で作った心の過ちを一つ一つよく振り返り、真の神にお詫びしなさい。その時あなた方の心は安らぎ、必ず天上の世界に救われます」とお伝えするのです

そうしますと、言葉で聞くとよく分かりますから「ああなるほど、わしは生きておる時貪欲に囚われ、或いは怒り狂い、恨んだこともあった、憎んだ時もあた、これは神に背いていたのだな。ではお詫びしなくてはいけない」と、お詫びされます。

その方が心を悔い改めたことによって、神の許しを頂くことができます。「どうぞ光をお与え下さい。この土地に執着し、この地にさまよえる諸霊は、今自らの半生に入っておられます。神よどうぞ光をお与え下さい。この者達をお救い下さい」とお願いしますと、光に満たされてきます。

そうしますと、暗い想念に覆われて薄暗い姿の方が、光によって人間の持っている元の姿に代わってきます。その調和した姿を確認した時に、「今、ご自分の心を振り返ってみなさい。今までの苦しみはいかがですか」と聞きますと、皆さん「ああ、楽になりました。救って頂きました」とおっしゃいます。

「では、経文を供養しますから、私の声の響きになりなさい。私の声の響きは、あの天上の世界に届きます」と言ってなんでもいいのです。声を震わせて「ほー」と言いますと、声の響きに乗って上がっていかれますね。そのようにしてお救いさせていただきます。

ちょうど掃除機を持ってきて、そこに散らばっているごみを全部吸い取ってしまうように、天上界へ上がって頂けます。後は汚れのない神の大地となり、災いのない土地となってうまくいくのです。

これが私の救霊、魂をお救いする方法です。

これは誰にもできます。しかし自分が見えもしない、分かりもしないのに、そんなことを言って、霊から「おまえ何を言ってるのだ」と取りつかれたら困りますから、まず自分自身の魂を高めることです。自分自身の魂を清めることで、これは反省するしかありません。(中略)

日本独自の神をよく知って、私たちが神と思い、神としてお詣りし、或いは賽銭を上げ、奉納金を献上してきた神々は、本当の神ではなかったという事を理解して下さい。魂の段階からいえば低いと思えばいいと思います。

心行の文字起こしはここまでです。

私たちが住む日本という国の中で災いのない土地は殆どないと言われております。
過去幾百年と遡ると、その土地では戦争があって多くの人が殺されたり、或いは飢饉や災害に遭って亡くなられたり、不慮の事故で無念の死を遂げられたり、はたまた狂死や自死されたりした土地が数多あります。

私が体験した事例の中で、元は墓地であったものをお寺さんが不動産屋に売却し、その場所を整地して家を建てたのですが、そうとも知らずに土地と家を買われた若夫婦がいました。

しばらくして若夫婦の隣家の方のお爺さんが亡くなられたのですが、そのお爺さんとお隣に出る幽霊さんと立ち話をしているのを度々見たそうです。なんとかして頂きたいとの事で若夫婦には内緒で救霊に伺ったところ、翌日からピタリと幽霊さんが出なくなったとのことです。

又、昨年(2021年)の秋に熊本の方から依頼されたのですが、奥様がうつ病になられて困っているとの事で急遽熊本へ行きました。ところが癒しをしたものの改善せず、ご自宅と周辺の土地や墓地の救霊をしたところ、奥様のうつ病は嘘の様に完治したという事もありました

また、こんなこともありました。神奈川にお住まいの方ですが、家の中のお仏壇と神棚の救霊をし、更にお墓の救霊をさせて頂いたところ、その翌日に弟さんのうつ病が治ったとのことでした。また、コロナ禍で同業他社が不況に陥っているにも関わらず、その方のお父様が経営する会社だけが設立以来最高の売り上げとなったというご報告を頂いたのはつい先日(2022年9月)のことです。

救霊法によって救われたり、繁盛したりした方の例は枚挙のいとまがないほどに報告されています。

また、先祖供養や土地の救霊をさせて頂く事によって、見えない世界のみならず、現世に生きる人々にも光明を頂けるものです。長尾先生のお言葉にありますが、救霊法はあの世とこの世も共に救われるものだそうです。

土地の救霊を依頼された場合、当該場所だけでなくその場所から遠く離れた土地の救霊も共にさせて頂きます。

文言は「この土地、並びにこの土地からみはるかす限りの土地に意識を残しておられる諸霊に申し上げます」と語りかけた後に救霊をさせて頂きます。と言って語りかけると幾千幾万もの霊が一斉に救われます。

お社・神棚の救霊

お社

一般的には神社から頂いてきた護符を神棚に祀っているご家庭が多いですが、護符とは神社の眷属のしるし(代わり)であると言えます。

眷属とは親族・同族・従者・配下の者であったり家子や所従であるので、おおもとは護符を頂いた神社にあります。

では神社とは何かです。
神社には何が祀られているかはnetで検索をすればすぐに分かります。

〇〇神社 主祭神、
これで検索するとその神社には何が祀られているかが分かります。

多くの場合、神社に祀られているのは日本神話に登場する神々で、謂わば八百万の神です。
その神々は本当の神であるかどうかは祀られている神の名を調べ、その神は何をされた方かも分かります。

これ以上書くと差し障りがありますのでこの辺りで止めておきますが、要はむやみに信じないで、ご自分で調べて頂くことをお勧めします。
ともあれ、お社や神棚に神として祀られている諸霊をお救いすのも救霊の一つです。

祠、氏神様の救霊

氏神様 

日本全国にお社や祠がある地域は結構あります。
お社は地域の神社や神さまを祀った建物である事が多く、祠は街の中の路地裏や路辺に鎮座されている場合が多いです。

また、氏神様は自分が住んでいる土地を守って下さる神さまだと言われております。

お社、祠、氏神様の由来は、当該地で飢饉や災害の際に身を投げ打って人々を救済された徳の高い方を神として祀ったり、或いはその当時に身分の高い方や地域の復興に尽力されたが亡くなられた後に、その土地に住する人々がその方の恩恵を受けた事を感謝するために神として祀り上げたりする場合が多い様です。

こうした徳を積まれた方が亡くなられた場合はお社とか祠に入る事はなく、その徳の高さゆえに極楽往生されるに違いありません。
しかし、土地の人々がお社や祠にお詣りをしていると、迷える諸霊がお社や祠の中に入ってこられます。
祀られる事によって救われると思って勘違いをしておられるからです。

その当時にお社や祠や氏神様を祀ったものの、やがて数百年と経つ内に建物や石碑は老朽化して苔むしてしまい、祀られている筈の神様を放置したままでお詣りする人がいなくなると、祀られたいが為に災いを起こしてきます。

この様な訳ですから、救霊というのは災いをなくすのが目的ではなく、あくまでも迷っておられる諸霊をお救いするのが目的であることをご理解下さい。

霊障はなぜ起きるか

●誰もが幸せになりたい
私たちがこの世に生まれる前は、あの光り輝く天上の世界にいました。
その世界は光の量の世界であり、魂のレベルに応じて幾層にも分かれており、それぞれが同じ魂の段階の世界で暮らしていたのです。
同程度の魂レベルですから、意見の違いが少なく、それだけに諍いもありません。
愚痴を言う事もなく、人様の悪口を言うこともなく、さして腹が立つ事もありません。
天上界は安らぎと幸せに満ち溢れた世界ですから人間関係で切磋琢磨する事がなく、それだけに魂の成長が出来ないのです。

しかし、この世に肉体を持って生まれますと、さまざまな段階の人と交わらなければなりません。
慈悲心少なく、魂レベルが低い方がおられれば、神仏の様に慈愛に溢れた方も共に暮らしているのが私たちの住むこの地上界であり、物資化現象世界です。
それだけに人との交わりの中で患難辛苦を体験しなければならないのです。

それが魂の修行であり、厳しい人生を体験する事によって魂がより向上する様に作られているのですね。
だから魂の修行の為にこの世に生まれて来ました。
お釈迦様は言われたそうです。
この世は生老病死の四苦八苦であると。

苦海の中で人生航路を渡っていく事に意義があるのです。
楽しい事よりも辛く苦しい事の方が遥かに多いのです。
だから私たちは幸せだったあの頃・・・・・、
安らぎに満ちた暮らしをしていたあの世への望郷の念があるのです。

魂のノスタルジーですね。

それがあるから人は誰でも幸せを求めるのです。
先にも書いた様に、私たちは魂の修行の為にこの世に生まれてきたのですが、もう一つあるそうです。

それは見えない世界の方を救わせて頂くことです。

魂修行と諸霊の救済。
この2つが人生の一大命題だそうです。

では見えない世界の霊的存在の方はどうかと推測すると、矢張り私たち生きている人間と同じく、すべての霊が等しく幸せを求めている筈です。

ところが幸せになれないのです。

●人間はタチの悪い霊
幸せになれたら心の故郷である極楽浄土へ帰れるのに、帰る方法が分からないでおられるのです。
だから「助けて下さい」「苦しいよー」と言って人にすがってくるのです。

人に災いを起こそうとしている訳ではないのでしょうが、中にはそうではない場合もあるそうです。
しかし、見えない世界の多くの方はただ幸せになりたいだけなのです。

幸せになりたいのにそれを私たちは「怖い怖い」と言って差別します。
テレビでは神霊スポットとかの番組を作って興味を募らせます。

見えない世界の方を弄んでいるのです。

霊能力を受けて利用したりします。

「ここからこっちには入って来ないで」と言って塩を置いたりして結界をはったりします。これは明らかな差別です。

或いは祀りあげたりします。
何故祀り上げるのか?

それは見えない世界の方が神や菩薩と称して人々から祀られたいからで、祀られる事によって救われると勘違いしておられるからです。

神社然り、八百万の神然り、氏神様然り。

お稲荷さん

私たちは、幸せになる事が出来なくて暗い世界におられる方たちに対して憑依現象だと言って恐怖に慄いたり、時にはお祓いをしたりします。
「あっちへ行けっ」と言って追い払うのです。
これも差別です。
差別をするから霊障が起きるのは当然の事です。

あまりにも可哀想ではありませんか、見えない世界の方たちが。

「人間は一番タチの悪い霊です」と長尾先生は言われました。
私は見えない世界の方がどんなに幸せを求めておられるかを数多の体験によって知りました。

そして、どんなに差別されたり、誤った認識をされているかを知り、その事を思うと涙が溢れそうになるのです。
人は誰もが幸せを求めている。

今、この地上界で生きている私たちも、亡くなられて暗い世界におられる方も等しく幸せを求めているのです。
だからこそ見えない世界の方たちを利用しない事、依存しない事、決して差別をしない事です。

今生きている私たちは肉体を持った霊であり、亡くなられた方は肉体のない霊です。
本質は皆んな神の子であり、霊そのものなのです。

その霊を利用したり依存したり差別をしているのが私たちなのです。
ではどうしたらいいか。
どうしたら見えない世界の方に幸せになって頂いてあの光り輝く天上の世界へ帰って頂けるのか。
それは救霊法です。

救霊法について

救霊はどなたにでも出来ますが、見えない世界の方に自分の命を提供しなければなりません。

自分はどうなってもいい、見えない世界の方に救われてくれさえすればいいという命懸けの行為です。

また、救霊は自分が行うのではなく、神様と長尾先生の媒体になる事です。
媒体になる為には救霊を行う者自身が神様と長尾先生から信頼して頂ける生き方をしなければなりません。
つまり、お互いの信頼関係がなければ出来ない行為でもある訳です。

その上でお墓ならお墓、仏壇なら仏壇の前でご先祖に語りかけます。
どなたにでも理解できる分かりやすい言葉で話します。

救霊は現世利益を目的としない

●心霊現象がなくなった。

●険悪だった家庭の中が調和された。

●先祖供養の直後に難病が完治した。

●交通事故多発現場での事故がなくなった。

●お墓、お仏壇、家、土地が明るくなった。

●同業他社は不況の中、自社の業績が過去最大となる。

等々、様々な報告がありますが、ここに紹介した事例は現実にあった事ですが、あくまでも現世利益(げんぜりやく)に過ぎません。

本来、救霊法はこの世に生きている私たちがなんらかの恩恵を頂きたいが為だけに行うものではなく、既にこの世を去られた方たちが天上界へ救われて頂くことを目的とするものです。

ですから、霊障で困っているからといって当庵に依頼された結果、仮にご先祖様が救われて霊障が消滅したとしても、それは他力によるものであって、依頼者自身がその後の生活を正さなければ、いつの日にか艱難辛苦に見舞われることがあるかも知れません。

救霊によってご先祖様が救われても、生きている私たちが不幸の原因を作っているのなら、この世にあって成仏ができないとするものです。
長尾弘先生を開祖とする救霊法は、この世の人も見えない世界の方たちも共に救われる唯一無二の救霊法です。

次のページはこちら➡◎体験記・救霊を行うまでの経緯

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費用の詳細はコチラをご覧下さい。

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2022年9月21日

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