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私の恩師・長尾弘先生

私の恩師・長尾弘先生

長尾先生との出会い その2

長尾先生

長尾先生ってどんな人?

『人様の喜びをもって、我が心の喜びと成す』
この言葉は長尾先生の座右の言葉です。

あなたが人生に疑問を持って道を求めていた時、師の話によって指針を与えられ、心が救われたとしたらあなたの心はどんなに喜びに満たされることでしょう。又、もしあなたが病に苦しまれている時、師が行なう癒しによって病が癒されたとしたら、あなたの心はきっと喜びに満たされることでしょう。

そのあなたの心の喜びこそが、我が心の喜びとされた人、それが長尾先生です。

世の宗教とは何の関わりを持たず、なにものをも求めることなく、ただ人々の幸せだけを願って1年365日、ただ1日の休みもなく肉体の限界に挑みつつ、日本各地はもちろん世界各国を終生歩かれました。

ロンドンのカリスマ・ヒーラーであるモハン・サイ氏の言葉をご紹介しましょう。
『僕は世間でチャリティーをやっている人を沢山知ってる。でも実はチャリティーを装っているだけで、本当のチャリティーではないということもよく知っている。でもミスター・ナガオは本当のチャリティーだよ』

モハン・サイ氏の映像はコチラをご覧ください→ https://www.youtube.com/watch?v=PlqbQ6sFnIk


『宗教とか組織とかは関係ないし必要としない。ミスター・ナガオの心にあるのはLOVE・・・・・・、そうLOVEだけさ』

モハン・サイ氏

長尾先生のプロフィール      

ニューヨークにて

1931年 
大阪と奈良の県境に位置する南河内郡(現在は柏原市)に8人兄弟の五番目として生を受ける。
3歳頃になると蝶々やトンボ、小鳥や虫たちを思いのままにして遊ぶ不思議な力を持った幼少期を過ごす。

幼い頃から家業の農業を手伝う傍ら、父からは無償の奉仕の実践を学び、母からは徹底した布施の精神を学ぶ。
こうした家庭環境の中で成長する過程で、人様には徹底して奉仕をし、施すものだと、ごく自然にに学ばれる。
 
1951年 
16歳から20歳まで国内航路の船員として働き、下船後は染物工場に勤めるも、収入のすべては父母に送る。

26歳の時に独立して織物業(毛布の製造・販売)を創業。
その後、父母から学んだ奉仕と布施の心を受け継ぎ、長年にわたって地域社会への奉仕や孤児院への布施を実践し、事業の利益は福祉という形で社会に還元する。

1970年 
ふとした事がきっかけで近所のお婆さんの膝の骨の骨折が手を当てただけで元通りに完治したことからその情報が口コミで伝わる。
この頃から幼い頃に宿った不思議な力が再び蘇り、常識を超えた癒しを始めるようになる。

1974年 
43歳の頃、事業欲に奔走し、事業拡大の日々の生活中のにあって、この世の現実と四つになって取り組んでいたが「心の休まる時はなかった」と述懐する。
丁度そんな頃に「釈迦・イエスの教えの原点に帰れ」と説かれる高橋信次先生とのご縁に触れ、心の学びを始める。

信次先生の講演の中から「足ることを知る」「無償の愛の実践」ということの大切さを改めて知ることになる。
その後、順風満帆だった事業を十分の一にまで縮小した事で十倍の原材料が残り、仕入れの必要もなくなり、潤沢な資金が残る。
     
1977年 
幼い時からの記憶をさかのぼり、我が心の奥を徹底的に見つめることを決心して、奈良県の山中に入る。
7日間殆ど飲まず食わずの反省をし、心の垢を洗い流す。      

1978年 
関西鍼灸専門学校に入学。この頃、既に難病・奇病の方の癒しをされていたので、在学中に教師から「長尾先生」と呼ばれて慕われていたと言う。      

1980年
国家試験に合格。1982年に織物業を閉鎖。職業的な治療家の道に進むと共に「浄心庵」を開院し、関西・四国各地から講演の依頼を受ける様になり、無償の愛の実践を積み重ねる。

    長尾先生のご自宅   我が門は衆に向かいて開きたり 入るも良し出るも又よし

1987年
東京講演を契機にして、「愛の実践」の噂は急速に日本各地に拡がり、人々の幸せを願って身を犠牲にし、1年365日、1日の休みもなく無償の行いをする自らのことを愚か者と称する。

1989年
ドイツへ癒しの旅を、その後世界各国へ出かけて多くの人々を救う。

 長尾先生と私 ライン下り  長尾先生と私_0022 

1991年 
イタリアのミラノ市を訪問の際、社会党の党首、フランコ・オスカー二氏よりミラノ名誉市民賞を受賞。

1994年
インド、カルカッタにてマザー・テレサ氏より招聘を受けて対談後、大統領官邸に招待される。
  
      マザーテレサと  インド大統領からの招聘

YouTube長尾先生とマザー・テレサ

1999年 
ブラジル、サンパウロ市より「最高文化功労十字章」を受賞。日本政府から紺綬褒章を都合10回受賞。
晩年は書道家として確立される。

  長尾先生2  色紙
      
2007年10月25日 逝去
肉体の限界に挑みつ、人々の為に尽くし抜いて76年の生涯を閉じる。

人々の 僕となりて生き抜かん 我が人生に悔いは残らじ

長尾先生との出会い その1

忘れもしません。
長尾先生と初めてお会いしたのは、昭和63年1月17日に池袋の豊島公民館で行なわれた講演会の会場でした。
その時の印象は『あー、ごく普通のオジサンだなー』としか感じなかったのです。

この時の印象が数分後に見た奇跡の癒しによって見事に覆されるとは思いもよらないことでした。
とんでもない光景を見てしまったのです。

それは、7年もムチ打ち症に悩まされて日本中の病院で診てもらっても治らなかったご婦人を、その独特の療法で一瞬にして治してしまったのです。それだけではありません。

その後、目の見えない方や耳が聞こえない方、或いは歩行困難な方が瞬時にして癒されていく様子はただ事ではなく、イエス・キリストの再来かと思わせるほどでした。
それでいて毛先ほどの威厳を持たず、終始笑顔で奇跡の癒しをされる先生は、もはや普通のオジサンである訳がありません。

ムチ打ち症が完治したご婦人が『お礼に』と言って差し出されるお金を一旦受け取り、その直後にこう言われた言葉が私の心を捉えました。
『あなたのムチ打ち症を治したのは私ではなく神さまです。神さまが治したのですから、私がこのお金を頂くことはできません』
『あなたが差し出されたこのお金は、あなたが救われたことのお祝いです。どうぞお受取り下さい』
と言われるではないか!

この人こそが神さまの媒体となるお方だ、と思ったのはこんなエピソードがあったからです。
(注 ここでいう神とは大自然のエネルギー、もしくは自然治癒力のことをいいます)

上記の文面は長尾先生との出会い その2 と一部重複します。

神理の実が成る木 

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