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子どもを良い子に育てる方法

子どもを良い子に育てる方法

子供を良い子に育てる方法


子どもの立場から見た親とは


子供さんが、「親の言うことを聞いてくれない」或いは「学校に行ってくれない」とそういう悩みの相談がすごく多いんですね。

これも考えてみますと原因を作ったのは全部両親にあるということです。


「いやー、私は子供が幸せになる様に一生懸命育ててきました」と皆さんそう話されます。

 
なるほど、口では子供にいいこと言ってなんとか良い子になって「あなたいい子にならなあかんよ、こうしたらいかんよ」と言って育てるのですね。

ところが、育ってみたらとんでもない子になってしまった。
もう我が子でありながら悪魔のような存在になる場合もあります。

その為に悩み苦しんでる親御さんがあまりにも多いですね。

これも先程からお話しております末法の世、世の末となって正しい子供の育て方さえわからなくなっている。

子供というものは口でいくらいい事言っても聞いてくれない様に作られています。

しかし、親の姿はそのまま真似してくれます。
親の後ろ姿を見てそのまま育つようになっているのですね。

どんないい事を言っても、子供にどんな良い教育をつけようと思って一生懸命教えましても、親が生活態度が良くなかったら子供は生活態度の良くない子供になります。

極端にハッキリと目に見えて現れない場合もありますが、そのほとんどが知らない間に親が作ってしまったんですね。

昔と違って今は給料を銀行振込みにして頂くようになりました。

昔はお父さんと言うのは給料を持って帰って来てお母ちゃんに渡してお母さんが、「ありがとうございます」と受け取っているのを子供が見て「へーお父さんから働いてきたお金貰うんだな」と見るんですね。

ところが、そんなの銀行に振り込むから、お父さんが一生懸命働いて稼いでいるのを見たことない。お父さんはお母さんからお小遣い貰います。
「ちょっと小遣い出しておくれ」と言います。

それを見た子どもは「へーおやじというのは金は持ってこんと金ばっかりもらう存在なんやな」そう思い信じてる子供さんはものすごく多いんです。

子どもの立場になると「おやじというのはお母さんから小遣いをもらう存在やねんなー」となるんです。

お父さんはお金を持って帰ってくるのを見たことがない、全部銀行振込みやから。だから、「お父ちゃんというのはお母ちゃんから小遣いを貰う存在や」とこうなる訳です。

それひとつ見ても子どもがどんな思いになっていくかということですね。


親子猫

夫婦お互いが尊重する心

昔、東北地方ですごく生活環境の厳しい時代があったんですね。 
その当時、姥捨山と言ってまあ、五十~六十代位になったら親を背負子に背負って山奥に捨てに行ったそうです。


                             
それは、地方その土地その土地の親はその年代になったら親は捨てに行くもんやという、まあ捨てに行かれたらやがて死なないけませんね。

労力がなくてただ食べるだけやからこれ邪魔になると、そういう風な習慣であり、教育であり考え方ですね。

ある時、お父さんが自分の親を背負って山に捨てに行ったそうです。
年がきましてね、そして山奥に親を捨てて帰ってきました。
背負子だけ背負って帰ってきたんですね。それを見た子供は言ったそうです。


 
「お父ちゃん、その背負子を塩梅なおしといてやー、今度お父ちゃんを捨てに行ったるからな」。


これは、教育です。今も昔も子の幸せを願う親の心は変わらないんです。
しかし自分自身の行いが問題になってきます。例えば、私の恥ずかしい過去の己の姿です。

先の家内で、この人はなかなか「はい」という言葉、私聞いたことないんです。
何を言っても「ちゃうちゃう」と言って、違う違うと言うのが返事やったんです。
いっぺんでいいから「はい」って言って欲しいと言うても、「いや、ちゃうちゃう」と。

よく反省をしますといかに私が、信用がなかったかです。
ところが、自分の過ちを棚に上げて、「ほんとにいやらしいやっちゃなー、絶対に「はい」と言わん。
こんな嫁はんもろたら男は災難やなー」こう思っておりました。

そして子供がそんなお母ちゃんにならないようにと思って「あんたらな、大きくったらお母ちゃんみたいになったらあかんよ。


主人の言うことを、はいはいと聞いてする子になってくれなあかんでー」とこれが、教育やと思って一生懸命言ってました。

家内はまた言います。「あんたら大きくなったら、お父ちゃんみたいな人、パパみたいな人と結婚したらあかんでー、あんなもんよそでばっかりいい塩梅にして、家はほったらかしや。
&size(22){「あんな人を主人に選んだらあかんでー」。

純真な神の心を頂いてせっかく縁あって子供となってくれた方(子ども)に対して、ふた親がかりで、「お父ちゃんはあかんや」、「お母ちゃんはあかんや」と一生懸命教育してるんです。


その時、子供の心はどの様に思ったかです。
「へーうちのパパみたいになったらいけないんや、へーお母さんみたいになったらいけないんやなー」
 
それがあたかも正しい様に思っていたのですね。
とんでもない事です。親の値打ちをふた親よって下げてるんです。

これから子育てされる方で、絶対に親に心配かけない子に育てる秘法をお教えしますから、是非若い親御さんで子育てされる方に教えて上げて下さい。

 
挿絵 斎藤麻里 14歳

お話 長尾弘先生

       

子育ての基本は夫婦の調和

画像の説明
お父さんが仕事に行かれてお母さんと子供との時間が長いはずです。
その時にお母さんは言うんです。

「お母さんが、そして又あなたもこうして生活させて頂くのは、お父さんが一生懸命働いてお金を儲けて頂いて、そのお陰でこうして生活させて貰っている。 
だから、お母さんはお父さんにすごく感謝しています。あなたもお父さんに感謝しましょう」と、言って教えるんです。

お父さんはお父さんで、子供と2人になれたチャンスがあれば、「お父さんがこないして安心して仕事に行けるのも、あんた達がこの様に生活できるのもお母さんの努力のお陰。 
        
お母さんはお父さんの留守の間に洗濯をし料理をし、或いは掃除をしすごい苦労してくれている。だからお父さんはお母さんを大事にしようと思ってる。だからあんたもお母さんを大事にして下さい。」と、言ってどちらもおらない時にこの言葉を注ぐのです

そうしますと子供は、お母さんを大切にせないかんのやお父さんに感謝せないかんという事を知らない間に学んでいくんです。

ふた親寄ってお父さんを大事にしよう、或いは感謝しよう、或いはお母さんを大事にしよう。その様に言葉を注ぎかけられて成長した場合に悪くなろうと思ってもなれないんです
 
ところが口だけやったらあきません。

口じゃ大阪の城も建つ。
えー、口だけやったらなんぼでも言えますけども、口でそない言ってケンカしているとこ見せたらこれダメですね。

やっぱりそれを実践せないかんけども、その様に子供に言葉を注ぎかけた時、子供は知らぬ間に親に感謝し、親を大事にする子に育っていくんです。

ところが世のお父さん、お母さんは反対。私と同じようにして育てる方があまりにも多い。そしてお母さんと子供さんの時間が長いから子供の思いを自分の方について欲しいと自分ら夫婦がケンカします。

そうすると自分に子供の心ついて欲しいからお父さんの悪口をしきりに言うわけです。 

「うちのお父ちゃんはもう甲斐性なしや、ほんまあんな人はしょーない」そのようにして育てられたお子はだんだんと親を軽蔑していきます。

「お父ちゃんの言うこと聞いたらあかんやでー」ってお母ちゃんが教えるんやから聞かない。

そしてやがて背丈が伸びた時にまずお父さんに対して反発してきます。
それはお母さんから教育を受けたんです。

そしてその様に育てたお母さんに対して今度は矢を向けてきます。
そしてお父さんよりお母さんにひどい目にあわす家庭内暴力の方が多いですね。 

それは、その様な育て方の結果としてあらわれてきた姿です。だから、今言いましたこんな短い、簡単な言葉を常に注ぎ、その代わり夫婦も仲良ーせなあきません。

子供の前では出来るだけケンカは見せないように、争いごとは出来るだけ見せないようにして夫婦調和する事ですね。そして幸せの根源はどこを探してもない。

それは夫婦の調和の中にしかないんです。仲良ーすることですね。私とこは仲良いです。仲良くしております。

まあ、出来るだけお嫁さんを大事にするように、怒らさん様に。まあ、私は外へ行っては「はいはい」と言ってペコペコして、家に帰ってはまたペコペコしてペコペコ人生でございます。 

自分が偉くなって偉そうなことを言うておれば出来ません。又、家庭の調和、それはお互いに譲り合う中にあるはずですね。
 
イエス様は、「お互いに愛し合いなさい。又妻よあなたたちは私を愛するが如くあなたの夫を愛しなさい。又夫よあなた達は私を信頼する様にあなたの妻を愛しなさい。」

同じことを仰っしゃってるんですね

どっちもお互い愛し合いなさい。子育ての中にあって、ついこの簡単なことがわからないから色々と間違ったやり方をしてしまうんです。

そして純真な子供の心に親が傷をつけてしまいます。曇らしてしまいます。

反省によって親を知る



母子猫 泣く

反省をさせて頂きます。
幼い頃を振り返って反省させて頂いた時、親に対してお父さんお母さんは、天皇陛下さん以上に尊い方だと思っておりました。

天皇陛下さんは直接食べ物を食べさせて頂けない。
しかし、お母さんお父さんは物を食べさせて頂ける。
或いは、神様みたいな人やなと純真な心で思っておりました。

皆さんも振り返って反省してみてください。

幼い心に帰った時、お母さんお父さんをどない思っておったか
それは、本当に神様以上の存在と思っていたはずです。

その神さん同士が寄って、「あの男の神さんはあかんや、この女の神さんはあかんや」と言って教えられた時、子供の心はどんな混乱が
おきるか。
すごい裏切り、すごい傷がつきます。

そしてそれがもうずっと成長の過程においてケンカをしてはそう言う事を
子供に教える。それが結果として自分に帰ってきた姿です。

そして、「私は、そんな教育をした覚えはありません。
そんな悪ーなってもらおうと思った事ない。
知らん間にこんなんなりました」と言います。

しかしこの世に原因のない結果は何一つとしてないということです。
そして結果が現れたという事は必ず原因があるということです。

子供が心配をかけてくれる、これは結果として現れてくれます。
じゃあ、それは何かの原因があった、その原因は育てた親にあったと言うことです

だから子供が言うことを聞いてくれない。
私もそうゆう経験させてもらいました。
なんぼ言っても聞いてくれません。
殴ろうが、蹴ろうが聞いてくれません。
絶対に聞かないようになっているんです。

しかし、己が改めたときに素直になってくれました。
私は、「良い子になってもらう為にこんな事していたらあかんや、或いは
そんな事してたら人生渡るのに難儀やからこんな風に考えないかんや」と、やかましく言えば言う程反発、或いは離れていきます。

そしてどれ程言ってもダメやなー、という事を分からしてもらった時、人間というのは勝手なものです。

自分が辛い思い、苦しい思いをした時、自分が正しいと思っておりますから神様に対して文句言います。

「神様、一体私をどんだけ苦しめてくれたら気ー済むんですか。私は、自分に対して苦しみを与えてくれるんやったら、どんな事でも耐えさせて貰います」。

しかしなんぼ言おうが、叩こうが聞かない子供の姿の中にどうすることも出来ないその姿を見せられた時、どうする事も出来ないです。

「どこまで私を苦しめれば神様満足してくれるんですか」と神様に文句言うたことありました。
人間に言うても聞いてもらえないから今度、神様に一生懸命文句言いました。

不思議なもんでして遅く帰ってきたり、言うこと聞いてくれなかったらもう神様に文句いう心やからこっちの心も鬼みたいですねー。

「お前は何回言ったらわかるのか!耳どこについているか!」って言ってもうきちがいみたいです。

鬼みたいな心です。ところがそんなもの言うても言うても聞いてくれません。

もー、どないも手ぇーつけられなくなってきた、そうすると今度は神様に対してずーっと文句いう時間が何ヶ月も何ヶ月も続いてもこれまた効果がない。

もーどないしたらいーんか分からんようになって、「どうぞ神様、どこにいてるんか知りませんけれど、あの子に間違いないように守ってやってください。

そして若し、許してくれるなら一時も早く私のもとへ帰してください」と言うて、あ~、泣いて泣いて朝までお願いしたことがありました。

そうしますと帰ってきてくれますと、なんぼ遅くとも泊まってこようとも、「あーよう帰って来たな」と先ず神さまに対して感謝の心が湧いてきます。

「あー、よう帰してくれました。有難うございます」。

もう私の心は感謝の思いで満たされてます。
自分が神さまに頼んだからお礼を言わないとね。
帰してもろうて有難うございます。

そうなると子どもに対しても今度は言葉が変わるんですね。

「あーよう帰って来たな。風呂沸いてるから、早よ風呂入って休み。そんな事していたら体壊したらいかんから早よ休まないかんで」と言うて優しい言葉に変わってきますね。

子どもにとって都合の良い親になる



都合の良い子猫


子供の心にしましても自分が悪いという事は知っておってもキャッキャ言われたら都合悪いんです。

盗っ人にも三分の利って言う言葉あります。
いくら自分が悪いことしていても、「いやーパパうるさいから帰ってこーへんのや」ちゅうて、そう言う又理屈つけるんですねー。

だから都合が悪い。そこで色々試行錯誤しまして、もう苦しいもんですからどないしたらいいんやろって、それこそもう真剣に道を求めました。

その結果掴んだのが、人は誰でも都合悪いのは嫌いっちゅう事です。
この真理。ということは都合えーのは好きと言う事です。
いくら子どもの事思って言っても、言えば言う程子どもにとっては都合が悪い。
 
親は幸せを願い、いい子になってほしいから言うんですけれど、それが子どもにしたら都合悪い。
ところが、同じ年頃の子と深夜喫茶なんかでワイワイ遊んだら知らぬ間に時間が過ぎます。

そして、「あー夜が明けたなー、そしたら又、友達の家に行って寝よかー」ってなもんで、そんな風になっていくんですね。

ところが、そんなもん同士寄ってたら誰も注意しない。好き勝手出来るんですからものすごい都合がえーんです。
だから、都合悪い所から遠のいて都合えーとこに行くようになります。

そのことが分かりましたから、それはそんな子が寄って遊んでるその場所よりも私のそばにいる方が都合がいい私の存在にならないかんという事が分かりました。

その間に長い長い苦しい時期ありましたが、「あー子どもにとって都合のいい自分になってやろう。その為には怒ったり、うるそー言ったらあかん」。

しかし、本当に子どもの体の事を心配し、「あれやったら早く休みなさい、そして体壊さないようにせなあかんから」ってそういう言葉に変わっていったんですねー。

そうすると、子どもは都合えーんです。怒られへんし文句言われないから。
そしたら外と内と半々位の都合良さになってくる。

その頃になってきましたら私が部屋に入っておりましても「パパごめんなさい。遅くなりました。」と言うて自分から声かけてくれるようになりました。

帰ってきたら「早よー休みやー、」と言うたり、その中から「あんたが帰って来なかったらすごい心配するんやから心配少のーしてくれる様努力してくれるかー」言うて、こんな対話から話し合いができるようになりました。

まあ、二~三年かかりましたが、すごくいい子に変わってくれました。

ところが、つい男親は、先の家内が亡くなって間なしです。
責任感ありますし、なんとか一人前に育てなあかんという気負いもありますからつい厳しく言います。 
厳しかったら都合悪いから、つい都合がえー方に流れてたんですね。

だからもう家庭内暴力で親を殴り蹴りね、ひどいのになるとトイレも行かさないような子もあるみたいです。お母さんを監禁してしまってね。ところが、我が子ですからどこへも言う事が出来ない。

また、その他にも例えばシンナー、麻薬なんかで自分だけやなしに親にも辛い思いさせてる場合もありますね。

まあーその姿を見せてもうたら気の毒で仕方ないですけれども、まあ麻薬とかシンナーで頭が変になってしもうたら大変ですもんね。

自分の意志でどうすることも出来ない。
その方へ負けてしまいますから、そこでその様になってしまったものを親の責任や、親の責任やと責めるのもこれも酷です。

挿絵 斎藤麻里(14歳)

お話 長尾弘先生

長尾弘先生講演録


子どもの魂は親とは別の人格


イタリア、トリノの教会にて

親はその様な事態に遭遇した時にどの様に思い、どの様にしていくかが今度問題になってきます。

先ず自分たち夫婦の中に何らかの過ち、間違いがなかったのか。
又、教育ママごんっていうんですか、「勉強しぃー勉強しぃー」って
言うてその子の荷以上の重荷をかけて、そして苦しめている方。

心の中に何らかの片寄りがあった時、その様な結果が出てきます。

お釈迦様のお言葉の中に「聖諦」、聖なる諦めという言葉がありますね。

この「聖諦」というのは、諦め切れないものを諦める、一つの諦めの心境ですね。
それと、親はその肉体を分け与えても魂を与える事は出来ないという鉄則です。

肉体は親、魂は全く別の人格が肉体に宿ってくるんです。
それを魂まで親が与えたと錯覚をする訳です。

そして「自分が与えた我が子であるからこんな事があってはならない、自分の心やったらこんな事にならない」と、今度は子を責めていきます。

しかし、魂はあくまでも別の人格であるという事。
そしてそれは神様から「この子の魂の修行の為によろしゅうお願いします」と預からせて頂いたのが私たちの子どもです。

「魂の修行の為にどうぞ協力してしてやって下さい」といってお預かりしたのが私たちの子どもですね。

ですからあくまでもその魂を成長さす、魂を磨いてもらう為に預かったお子である。

しかし、我が子と思えばその思いに偏見が出てきます。
ところが現実に我が子やから我が子と思うんです。

そこに苦しみが生まれます。 
あくまでも神様からお預かりしたお子である。

その様に思わせてもろうて神様から預からせてもろうたお子だと思い、我が子と思わないで若し育てられたら、又全く別の子どもに成長する筈ですね。

育てる過程において親のエゴで自分の都合、「あー、私はどこの大学を出てるから子どももそこを出てもらわないと都合が悪い」とか、或いはお母さんは「どこの大学を出たんやから、あんたもそれ以上のとこを出ないかん」とか・・・・・。

ところが能力は能力、まぁー素晴らしいええ家庭に生まれた人は頭のいい人が多いですけれども、ある寝屋川の方からお見えになる方の話しですが、お兄ちゃんは東大で弟さんも東大です。

こりゃー、よっぽど頭のええ人やと思うて、というこんな家庭もありますけど、そんな家系にあっても矢張り出来ないお子もあるんです。

それを同じように思うから、つい子どもに思い荷物を背負わすんです。
その荷物に耐え切れなくなった時に反発したり、或いは不仲になったりしていきますね。

すべてはお預かりさせてもらった神様の御子と思って子どもを見させてもらった時、思いはまた大きく変わる筈です。

お話 長尾弘先生

長尾弘先生講演録


親の幸せは子どもの幸せの上に乗せてもらえる

画像の説明


家庭内暴力或いは登校拒否、或いは校内暴力、そういう今与えられた環境の中で親は一体何を学ぶべきか、です。

今与えられた中で、そしてその苦しみの中でどれだけ子どもにとって都合のいい親に変わっていくことに・・・・・。

今与えられたその苦しみの環境を乗り越える為の一つの学びと思って学ばせて頂くことですね。

勿論、そのお子そのお子によりまして魂の段階と言いますか、教えもしないのに良く出来る子もあれば、同じ兄弟でもなんぼ教えても覚えてくれないお子もあります。

これなんかもあきらかに人格は別やという事ですね。
幸いにして兄弟でまた出来ない兄弟、全く出来ないお子さんが
ある様な家庭も沢山あります。これは人格はすべて別であることを知る事。

それと今その様な苦しみを与えてくれた時、一体どこに原因があったのか,親としてどこか悪いところがなかったかを自分自身について徹底的に反省することです。

そして過ちがあれば、そして若し子どもに親のエゴで苦しみを与える様なことをしておれば、心素直にしてお詫びしたらいいんです。

「あなたをこんな風に育てたのはお母さんのこういうところが悪い、許して欲しい」或いは、お父さんのこういうところが悪かった、許してほしい」と言って心から詫びたらいいんですね。

ところが「自分の子に頭を下げられるかー」ゆうて親という沽券にとらわれて、「なんで自分の育てた子に頭下げないかんのや」と、そういう親もありますね。

しかし、それでは良くなりません。

人間というものをつくづく観察しますと、ある年代は親の愛によって育ててもらいます。 

そしてある年代になれば好きな人が出来ます。
そしてある年頃になると夫婦という名のもと、男と女が共に住む様になります。 
そうしますとそこまではまだいいんです。

やがて子どもを授かります。この子どもというものを神様から授かった場合です。
もう自分の幸せをいては・・・・・、自分たち夫婦だけの幸せを追い求めていては幸せになれないんです。

それは子どもが幸せになって初めて幸せになれるんですね。
若し子どもが不幸になってくれたら絶対に親は幸せにはなれません。

親という立場を頂いた時、もう親の幸せというのは子の幸せの上に乗せてもらう事になっています。

ところが、そういう事が分かりませんから、子どもがだんだん成長してくるのに子どもどころじゃない。

我が夫婦で一生懸命勝手な事でケンカして不調和な家庭を親が作ります。

それは自分のエゴからなってくる筈です。偽りの己の偽我、お互いのエゴから不足を言い、文句をを言い、そして満たされなかったら口争いとなります。

ひどかったら殴り合いをします。
そうなるともう子どもの心はズタズタですね。
やがてその姿を見て成長する。ズタズタの成長です。
それが結果として現れてきます。

そして背丈のまだ伸びない間は、親という存在は大きーてやっぱり怖いですから「怒られたら怖いな」と思って逆らうことが出来ない。

「この子はおとなしいから怒ってもおとなしい」と油断していたら、背丈が伸びたら今度は反対にどついてくれます。

だからそういう環境を与えられた時、矢張りそのお父さんお母さんはよく反省をして、そして自分の生活態度を改める事が大事です。

親のエゴでお子さんの心を苦しめた事があるかないかを徹底的に反省する事ですね。

その時、又子どもの心も変わると思います。これはすごく難しい問題です。

登校拒否で苦しんでおられる方もよく相談に見えますけれど、運のいい子はもういっぺんで学校行く様になってくれたお子も沢山あります。

又、中学で頭の毛を真っ赤っ赤の毛をしまして、こぅー、くいこんでね、これ人間の頭かいな、というお子もあります。

ところが学校ではそれはいけないんですね。校則で禁止してることをやる。
もー、手ぇー付けられない。このわんぱくの僕が私のところへ来てくれたんです。

色々話してから「私も幼い時ワンパクしてケンカして悪い事も沢山したけど、自分で目ざめてどうにかこうして生きさせてもらってる。

「僕も男の子やったら、帰りに散髪屋に行って頭の毛をみなかってみー」と言ったら、帰りに散髪屋に行って丸坊主になってきました。
どれだけ親が言おうが先生が言おうが聞かなかったんですね。
それでここに来て帰りに丸坊主にしまして、そして高校に無事受かってくれまして指導係をやってる。

自分が体験しているから、その子が言うとまた迫力がある。
指導係してくれてます。まぁーそんな幸いなお子もあります。

又、このお子は小学校5年か6年で登校拒否。
女のお子ですけれども、何度言うても学校へ行けなかった。

これもうまいこと、「あくる日から学校へ行くようになりました」ゆうてそういう方もありますが、まだ行けない方もあります。

ですから、そういう結果を今見せられたとゆう事は、それには必ず原因がある。その事を悟るべきですねー。

お話 長尾弘先生

長尾弘先生講演録


原因は親にあり

見るも因縁、聞くも因縁。その様な姿を見せられるのも
自分に原因があったと、或いは嫌な事を聞かせてもらう。

これも聞くも因縁。聞くにも自分に原因があるから
聞いたんである。
すべては自分にあったという事を思った時、自分の心の
持ち方がすごく又変わる筈です。

ひどい家庭内暴力や極端な方。以前相談に見えましたが、
日本の5本の指に入る大企業のお偉いさんのお子さんですね。

社会的地位も高いし、親はもうホイホイして子どもを
大きくしたんですね。
ところがお父さんは仕事がよく出来る人ですから、
麻雀やゴルフだといって家を留守にされます。

これは仕事のお付き合いですから。寂しいもんやから
お母ちゃんは子どもに対して「お父ちゃんはしょーもない人や、
そんなお父さんみたいな人」なんっちゅうて、ケンカしたら、
自分について欲しい為にお父さんの悪口を一生懸命
教えたんですね。

その結果として大きーなってきたら親に反発。
最初はお父さんに反発、それがもう暴力をもってしても
親より強くなってる。
そうなったら今度はお母さんをいじめてくる。

そしてお母さんを監禁して食べるものも与えない、
トイレにも行かさない。
まったく地獄です。そんな苦しい生活をなさっていた方が
ありました。
そして、そのお父さんは会社を辞めました。

放っておいたらお母さんを殺してしまうからですね。
お母さんは天理教のなんちゅうか、収容施設というか、
そういう所に入れてもらって外で暮らしてました。

そんな悲しい出来事も原因を尋ねると、原因は親にあったんです。
だから子どもを育てるというのは如何に責任重大か。

子どもを授かれば親は親だけで幸せにはなれないという事です。
子どもが幸せになって初めて、「あー、良かった」と親の幸せを
掴めるんですね。

これを強く心の中に忘れないように。親だけでは幸せになれない
というこの真理を心に銘記する事ですね。

その為には子どもという存在に対しての見方、
我が子我が子というその見方が苦しみの原因であった。

親は魂の修行の為に協力をしてやってほしい。
手助けをしてやってほしいと言って神様から預からせて
頂いた神の御子。 
まったく他人の魂を持った方が子として授かっています。

ただ、育てる環境の中において、この世に生まれてから知らぬ間に
親のしている事、言うてる事を学んで性格を形付けられます。

これは人間というものを観察分類していきますと、幼い時は全部
光輝く素晴らしい魂。しかも平等な魂です。
これが育つ環境で知らぬ間に教育を受けてきます。

言葉づかい、振る舞い、或いは心の使い方です。 
この教育を受けるのが一番大きいのは両親から受けるんです。 
それから、影響を受けやすいのはその生まれた時代ですね。

戦時中、或いはこういう平和な時代、或いは封建主義の時代、
その時代時代で人間の心は又変わる筈です。

父母の生き方を自然に学ぶ

それから生まれた自分の環境、豊かな家庭、不調和な家庭、
環境の中においても又人格を作っていきます。

そこへ受ける教育ですね。そして、生まれた場所の習慣
にも影響されます。

私は本当に貧しい水飲み百姓の子として生まれました。
小作農家ですね。
子どもは八人、その真ん中で生まれたんです。

この育った環境の中でお父さんからは畑へ行く道中、
また休憩中に真理に近い事を学びました。

「人はこの様に生きなあかん、この様にせなあかん、
あんな風になってはならない」と。又、お母さんから、
そしてお父さんからもその行いの中から見せてくれましたね。

例えば昔はみんな野道です。
アスファルトをしてあるような道がなかったです。
雨が降ったりすると土の弱い所が掘れて水が溜まるんですね。
周りに土が盛り上がります。
そういう道は周りの土を埋めて慣らして平らにしていきました。

又、頼まれもしないのに草がこう覆いかぶさってきましたら通る方が露で濡れますから草を刈るんです。

一銭も貰えないのになんでこんな事をするんやろと、
よー思たものです。
全く無償の実践を教えてくれました。

お母さんは布施について知らぬ間に教育をしてくれました。
ぶどうの産地ですからリヤカーに積んで帰るんですが、これ私が担いで帰ります。

それでこんなカゴに前後ろ担いでいくんですね。
終戦当時の物のない時代です。

道で出会った人に「これ一つ食べて下さい、これ一つ食べて下さい」と、みんな人にあげてしまう。
家へ帰ったらそのカゴは空っぽになっている。

家の中に土間がありまして、その土間の中で「サビ」って言いまして、草の中に青い実がありまして、その実を全部ハサミで取ってきれいにして箱に詰めるんです。

その時、お母さんの席は表の一番敷居の所に座りはるんですね。

そして家の中を向いて仕事をされます。家族みんなこぅー、周り囲んでやるんですけれども、何故いつもそこに座りはるかと言うと、表を通る人に「食べてくれ、食べてくれ」とやりはるんです。

あれは私のお父さんも偉かったと思います。私やったら家で一生懸命作った物を「食べてくれ、食べてくれ」とよそへ持って行ったら、「いーかげんにせーよ」と言いたくなるところですけど、絶対にそれは言わなかったですね。

そういう風に貧しい環境で育ちましたが、心豊かに育てて頂きました。
しかし、自分の生まれた環境を反省していますと、小作農家ですから、自分の土地ってないんですね。

ところが冬になったら山にシバしに行かなあかん。
おじいちゃんは山に柴刈りに、っちゅうやつでんな。
小ちゃい頃から山へ柴刈りに行く。或いは松の葉拾いに行きます。

自分の土地がないんですから、それは全部盗っ人行為です。
よそのを黙って貰ってくるんです。
だから黙ってやってるから見つかったら怒られるから飛んで逃げないかんですねー。

今考えたら私は幼い時、よくよその物を盗みました。
よそになってる柿やらみかんやらブドウやら、自分とこの畑行ったらいっぱいあんのに、よそのを食べたいんですね。

あー、その頃から思たもんです。ひょっとしたら私は石川五右衛門の生まれ変わりかな。
そして盗めば自分の良心が自分を裁いてたんです。

なんでこんな辛い思いして私はこんな盗っ人をするんかいな、と思って、自分を責め裁くことで大きくなりました。

(五十歳近くなってから)よく反省しましたら、その生まれた環境そのものが盗っ人だったんですね。これも与えられた環境です。

今でもエジプト行きましたらピラミッドがありますね。
古いのは七千年、或いはもっと古いピラミッドもあります。
その時代から王様のお墓に穴をあけて宝物を盗む人があるんです。

墓荒らしを仕事としているんですね。
そして、その宝物を売って食べている。それも一つの環境です。
私ゃ思ったんです。あー、ひょっとしたらあれとよく似たもんやなぁー。

しかし、終戦後、そんで今度は地主になられたんですね。
私の育った時代はその様な時代でした。

そういう時代の中に冬の仕事として柴刈り、或いは細い木を切って焚き物、或いは風呂の柴して伐って来るんですが、それ自体がもう泥棒やったんです。

だから近所の山に生えてるその自生の柿とか、そういう物があれば遠慮なしに盗って食べる。

それが段々よその畑になってるものまで食べるという盗っ人グセがつきました。

(反省をすると)これも苦しんで苦しんで自分というのはなんといやらしい人間なんやろ、なんと恐ろしい人間やな、という事に気付きました。

幼いときから悪い事したら自分を裁いて自分を苦しめてきたみたいですね。
だから言うんです。盗っ人はいけません、嘘はいけませんって。

            
これは苦しいです。私の体験です。皆さんはそんな方一人もないと思います。
しかし、生まれた環境、教育、そして習慣の中で確かに人は作られるのです。

ただ有難いのは、心豊かに育ててもらった。
それと幸いにして私は両親をすごく尊敬できました。

心から尊敬して両親があの世に帰って頂くまで尊敬させてもらったという事は何より幸せだったと思います。

人間として生まれて、不幸にして信じる事の出来ない親を持たれた場合もあります。

刑務所に入っていたり、或いはとんでもないことをしはった。
そういう親の場合は、子どもさんは又厳しい修行を課せられる筈ですね。




闇にあってこそ光を求める


闇の中にあってこそ

親を尊敬できない程、人間として不幸な出来事はないんです。
よくその親について話をしますが、親の幸せとは、
子の幸せの上に乗せてもらうもんであり、そして子として生まれたら、
自分の幸せの上に親を乗せる事、これが大事かと思います。

言う事を聞いてくれない子どもさん、そういう場合に色んな条件は変わると思います。

親をバットでどつき殺す様な場合もあれば、親の言う事を聞かない様な条件もあります。

けれどもその中にあって、先ず自分の過ちを認める事です。親自体が認める事です。

そして子どもにとって都合のいい親になる様、努力して頂ければいいかと思いますね。

言う事を聞かない・・・・・、言う事を聞いてくれなかったら誰でもいやです。

素直に聞いてくれたら嬉しいもんやけど、しかしそこで親の権限を振り回したり、或いはもう投げ出してしまったりしないように、今度はそれを打開するように努力すべきです。

困難を乗り越えるところに人生は色んな苦しみを与えられ、そしてそれを体験する為に生まれて来るんです。
楽して結構に一生過ごす為に生まれて来るんと違うんです。

色んな苦しみをなめ、辛い思いを体験して、そうしてその心が、魂が進化向上していくんですね。その為に生まれてるんです。

そして、どんな事にもアタック、挑戦をして一歩一歩それを乗り越えるとこに人生の意義があります。

人生とは私たちの魂の修行ですね。   
自然界もそうですが、ただ進化するのみ、後退するもんではないんですね。

後退したら敗者です。どんな苦しみがあっても、その苦しみを乗り越えたらそれは喜びに変わります。

又、いつも話しますが、苦しい時、辛い時はお先真っ暗で、もうどうしていいか分からない。自然界を見てみますと、あの草の種、或いは植物の種です。

光の中に置いておいたら絶対に芽が出て来ないんです。

土の中に入れてジメジメした湿気の中に入れて、上から土をかぶせて真っ暗にして初めて闇の中に入って初めて光を求めて芽が伸びて来るんです。

闇に入って初めて芽生える様に創られてるんですね。

私たちが苦しい時、辛い時は闇です。その闇の中に入れられた時、本当の光を求めて芽が伸びていく筈ですから、今どんな暗い辛い環境の中にあっても自然界を見てください。

夜が来れば必ず朝が近付いて来る。
夜になり、闇が近付いた時、夜明けが刻々と近付いている筈です。
闇もあり、光もあってこの世です。辛い事も悲しい事も体験してこの世です。

しかし、そういう体験の中に次の光が近付いている事を知ることです。
「私は闇や、私は闇や」とそんな事を思っていたらいつまでも闇は続きます。

必ず自然界はそうなってるんです。
夜が来ればもう朝が近付いて来ているという事を知るべきですね。
そして努力する事です。又、辛い時は耐え忍ぶことです。

イタリアに三浦先生という空手の先生がおられます。
そのお弟子さんの挨拶は全部「オス、、オス」という挨拶ですね。

私ら大阪で幼い頃、「おはようございます」の短こーしたのを「オス」って挨拶したもんです。しかし、そんなもんと違うそうですね。

押し忍ぶということで、押忍。   
オスと言うそうです。だから人生は耐え忍ぶ事ですね。
光が来るまで耐え忍ぶ。

そして、闇が来れば必ず光が近付いてるという事。
又、闇の中に入って初めて芽が出ることです。

これを常に辛い時も苦しい時も必ず光が近付いてる、そして芽が出るということを自覚する事ですね。
そうしますと環境もその様に変わっていく筈です。

この様にして自分の心を苦しめない事。先ず自分の心を苦しめてはならない。
そしてお互いに愛し合う事。

常に太陽の心を我が心に頂き、実践に移して行く事。
これは全部幸せにつながります。

そしてこの世は移ろい変わり行くものであるという事を悟ることですね。

人間の心ほど移ろい変わり行くものはありません。
人は善にも悪にも変わるものですね。

どうぞ幸せになってください。

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